遺品整理・生前整理特集企画

それでもこの世は悪くなかった

文章作成者:遺品整理想いて 電話受付担当 伊藤祥子

何らかの不安、何らかの情念、何らかの苦しみがなくては、幸福というものは生まれてこない
(フランスの哲学者アランの言葉)

 

_何も苦しいことがなければ幸福は生まれない。
幸福を知るには苦労があってこそ。苦労から逃げた人々には分からない真理。
苦しいことだけの人生を生きた自分は幸福な人生だった。苦しい人生を力いっぱい生きた。

 

そう、佐藤愛子さんは最後に綴っています。
一冊を読み終え、「あとがき」に書かれている言葉です。

そして、あとがきに書かれている言葉に佐藤愛子さんの真髄を見つけられた気がします。


第一章、第二章、第三章の3部構成となるこの書籍は、いわゆる佐藤愛子が書いている著書ではなく、傍にいる誰とはなく独り言にも思えるような語りを書籍にしたものでした。

第一章で佐藤愛子をつくった言葉として、影響を受けた14個の言葉とそれにまつわるエピソードが語られています。
その中で「カネカネという奴にロクな奴はいない」といった父 佐藤紅禄の言葉。

この言葉に由来するエピソードが語られています。
ご主人の事業失敗による破産で多額の借金を背負込むようになった愛子さんですが、「カネが欲しいとは思わないのにカネの為に苦労する事になった。しかし、それも面白かったと思うようになり、損をする人生を面白いと思えるようになり、どれもこれもありがたい事と感謝の気持ちになった」といいます。

損得にクヨクヨしていても始まらない。それより先へ進めと言う事なのです。

 

次に「人間は自分のしたことの責任は自分で取るものです」金貸し屋の親分から言われた言葉。

ご主人が借金をする際に知人の家2軒を抵当に入れていていました。
会社が潰れると同時にその家も担保として取られる事を知った愛子さんがそれにも肩代わりして何とかしようと金貸し親分の所へ出向いた時の言葉です。

_本来は万が一を考えて家に抵当はつけないのが普通。覚悟を持たないで行った方が愚か。
他人の愚かの尻拭いをする事はない。

と付け足しの言葉もあります。

簡単に引き受けてはいけない事柄で当たり前の事では有るものの、昔の人は頼まれると断りきれなかったのでしょう。
事の重大さをよく考え覚悟を持って言え!と親分は言いたいのでしょうか。

しかし、激して大声で泣いて借りる事ができた愛子さん。

人間は自分のしたことの責任は自分で取るもの!と教えてくれた親分さんですが、誠心誠意でぶつかれば道は拓ける事を教えてくれたのもこの親分さんでした。

この他にも、
「苦しいことが来た時にそこから逃げようと思うと、もっと苦しくなる」
「君は男運がわるいんじゃない。男の運をわるくするんや」
など、佐藤愛子をつくったのであろう言葉が綴られています。

そのどれもが、前向きで正々堂々生きる佐藤愛子さんへと繋がっていく。

 

第二章では幸福とはと題して語られています。
第一章で作られた佐藤愛子さんが、何が幸福と感じるのかを説いています。

その中で特に気に掛かる所はサトウハチローさんの件。
サトウハチローさんが佐藤愛子さんと兄弟というのも初めて知ったことですが、あの詩人が相当な不良少年だったことも驚きでした。
そんな時代もあったからこそ心に沁みる詩が書けたのか…とも思えます。

サトウハチローの師である福士幸次郎さんが亡くなる時のくだりは、ジーンと来るものがあります。

福士幸次郎が29歳の時に詠んだ「感謝」という詩に
_わたし共にもやがて最後の時が来て、この人生と別れるなら、願わくば有難うとと云って此の人生に別れましょう
というものがあります。

実際にいよいよとなってお兄さんがやって来た時に、体を起こして欲しいといい、「お兄さんありがとう。みなさんありがとう」と最期に云った言葉だそうです。

29歳の時に書いた詩のありがとうと言って亡くなったそうです。

お金儲けで書いていた詩人ではないので貧乏暮らし。
敗戦後の、家も薬も食べ物もない中での最期。
でも「ありがとう」と言って逝けた福士幸次郎は幸福だったのだろうと思います。

佐藤愛子さんの人生も人から見たら悲劇で有り、苦難の連続。
でも実際に生きた本人には良いことも沢山あり、何人も通り過ぎて行った人の中に、人は信用できるものだと教えてくれたという。
もし両親にぬくぬく守られ、金持ちの旦那さんと結婚し苦労なく生きてきたら分からなかった事。

苦労をするまいと頑張る必要ない。
その方がいろいろなことが分かるんだから苦労したってどうってことない。
反対に、幸福になったからと言って、別にどうという事はない。

そう思えるようになれたということが、1つの幸福と言えると語る佐藤愛子さんの人生は本当に深いですね。

 

第三章は死とは何かを語っています。
へんな友だちと称いて佐藤愛子さんと交友があった色々な方が登場します。

遠藤周作 北杜夫 川上宗薫 水上勉 吉行淳之介 中山あい子 ・・・

懐かしい名前の作家さんが出て来て、その人となりが分かり面白く読めました。
でも全部この世にはもう居ない方々ばかり。
佐藤愛子さんの前には瀬戸内寂聴さんだけとなっているようです。

この章の中でも「この世に未練なく死にたい」で語られている事でとても共感する部分があります。

自分と同世代の人や親しくしていた方が亡くなっていく。
共通の話題を持てる人が居なくなるのは寂しいが、価値観を共有できないのも寂しい。
世代が違えば理解ができても共感できたりできなかったり。

友だちがいなくなったこと、目からしょっちゅう涙が出てくる、耳が遠くなった。
(最近の人は声が小さいし早口だから何を言っているのか分からない。分からないから大きな声を出して聞く。大きな声を出すから人は元気だと思うらしい)

真っ直ぐに歩いている時は良いが曲がるとよろめく。段々の上り降りが危なくなっていく。
でも、そうやって衰えていくのが自然で、だから死んで行けるのです。
いつまでもピンシャンしていたらいつ死んでいいかわからない。
衰えていけば「ああ、だんだん近づいていくんだなあ」と日々自覚し、自然と死を受け入れるようになるんじゃないかと思う。

と語っています。

時々思います。自分の死はいつ頃だろう? どんな風にその時を迎えるのだろうと。

 

父が亡くなり25年近くになります。
病気がちで何時逝ってもおかしくない日々を何年も過していたので、自然ではなかったけどある程度の覚悟はしていられた。
十数年前に主人が亡くなった。
これは突然だった。突然過ぎて受け入れるまで1年位掛かった気がする。
でも、小学生の息子が2人居たから必死に遣り過ごした。
昨年母が逝きました。突然ではなく、徐々にその時を迎えて行きました。
だからそれなりに覚悟も出来ました。 

自分もその時が来た時には「ありがとう」と云って逝きたいものだとこの本を読んでつくづく思いました。

とは言うものの、それにはどう過ごせばよいのでしょう。

私は、声が大きいのはもともとで、聞こえないから大きな声を出している訳ではない。
なので、まだその方面の衰えがきているとは言いたくない。
それでも気力も体力も昔ほどではなくなっている。発想も行動も今一。
一番厄介なのは、自分の事になるとどうでもよくなり、面倒くさいし、億劫になる。

実は少しばかり手を付けているクローゼットの片付けが、ベッドの配置によって思うように進まない。
数年前に自分でレイアウトし動かしたモノが、今は11つ手間が掛かる。
休みなる度に「よしやるぞ!」と意気込むが、結局は邪魔なベッドに寝そべって終わる。 

親しい人の中には、断捨離やら終活、生前整理など不要なモノを片付けて、残されたモノで色々アレンジしたり、今の生活に本当に必要なモノを購入する等、生活しやすいよう工夫している人がいる。
遊びに行くと過ごしやすくて実に落ち着く。 

「ありがとう」と云って逝きたいと思う想いに変わりはありませんが、その前に「ありがとう」と言える自分自身の環境を見直し、その時が来るまで自分なりにエンジョイする事も家族や周りの方への思いやりなのかもしれません。
苦しい時もあったけど、幸福な人生にする為に。

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